『四界の楔 ー杜門編 2ー』 彼方様作


「奇跡」は起きた。
何度も。その回数自体が奇跡だと言える程に。
最たるものはゴメ―――ダイの願いにより、意志と心を持った「神の涙」がずっと彼と共にあり、小さな奇跡を起こし続け、最後に己の全てを賭けて全世界に今の状況を知らせた事。

“それでも…届かないのか…”

ポップは唇を噛んだ。

―――限界、か
少しでも「その時」を先延ばしにしたかったけれど。
そこでダイに声をかけられて、ハッとする。

「ダイ…お前、まさか」

「もう、それしかないから」

竜魔人化するつもりなのか。だが純粋な竜の騎士ではないダイに、その能力は備わっているのだろうか。

「あ…」

そこで気付く。
ダイの両拳に光る竜の紋章に。

“継承されてたんだ”

そう言えば、あの時ダイはバランの手を握っていた。仕組みは解らないが、バランの父としての子を思う心が宿ったものなのかもしれない。ただそれはそれとして、竜魔人化などさせる訳にはいかない。
ポップは、軽くダイの肩に手を置いた。

「ポップ…?」

「お前がそこまでする必要はないよ」

「何、言って…」

怪訝そうに見上げてくるダイに、小さく笑う。

「何か手があるとでも言うのか。ただの人間であるお前に、今更」

あからさまに見下した言葉。
そう言いながらも、バーンの中ではかつてバランが感じたものと似通った不可解さが広がっていた。
洞察力や冷静さ、度胸。そして頭脳。

それは、まだいい。
年齢的にはやや不自然さを感じない訳ではないが、異常性を疑う程ではない。
しかし、幾らシャハルの鏡があったとしても、あれだけの猛火を一瞬だろうとその身に受けて、火傷一つ負わない魔法防御力の高さ。更に、カイザーフェニックスを分解・無効化した事。
幾らここまで激戦を潜り抜けてきたとはいえ、「常識的」には有り得ない、と言っていい。

“これが、ただの人間、か?”

ポップはフ、と息を吐くと一歩前へ出た。
そのポップの様子をやや後方から見ていたレオナは、唇を震わせた。膝から崩れそうになるのを必死で耐える。

“…最後、が…”

レオナの瞳の中で、黒髪が揺れる。

地上では、メルルが顔を覆った。

「メルル?」

「行って…しまわれる…ポップさん!」

引き攣れるような、細く小さな高い声は、隣にいたフローラにしか聞こえなかった。他に聞こえたとしても、その意味は理解できないし、説明も出来ないが。

“あの子は…帰ってこない…”

フローラは愕然と空を見上げた。
あれ程のものを背負いながら、気丈に微笑っていた少女。彼女が言っていた「許可」が下りたのか。結局「戦闘」ではバーンには届かなかったのか。
メルルは、フラリとその場から離れた。

「どうしたの?」

エイミがそっと声をかける。

「少し…疲れたので…」

「そう。仕方ないわよね」

「すみません」

理性のリングの力で底上げされているとはいえ、他者と意識を繋ぐ事で心身にどんな影響があるのかは誰にも解らない。故に、メルルを引き留める者はいなかった。
岩陰に身を隠すと、力なくその場に座り込む。

“ポップ…さん…”

彼女の強さに憧れた。
優しさに惹かれた。
直向きさに焦がれた。
勇気に、救われた。
メルルにとって、ポップこそが光だった。出会えて良かったと、心の底からそう思う。けれど、その存在は、今失われるのだ。

“ああ…”

流れ込んでくる彼女の心に、一切の迷いがないのが悲しい。
寂しいとか、辛い、という感情がない訳ではない。
けれど、凪いで穏やかで、乱れもない。

“ポップさん…!”

どんな言葉も思いつかない。







やってきた時と同じように、自分の前に立ったポップの瞳を見て、バーンは目を眇めた。
透き通る緑に輝いている。
この少女の瞳は漆黒ではなかったか?

「赤の動印」

静かな呟きと共に、ポップの右掌の上に赤ちゃんの拳程の大きさの赤い光球が現れる。

「青の静印」

今度は左掌に青い光球。

「白の流印」

そして頭上に白い光球。

「発動―――封滅印」

ポップが言い終わると同時に、三色の光球がバーンへ向かって飛んだ。それはバーンを中心にして、まるで衛星のように弧を描いて回り始めた。

「これが、何だと」

それらを軽く振り払おうしたバーンだったが、その手が光球に触れる事はなかった。それは何度やっても変わらない。

「貴様!一体何をした」

「八代目、神の秘女の名において―――大魔王・バーン、あんたを封じる」

「余を封じる?」

鼻で笑おうとしたが、実際に大して速度がある訳ではない光球に触れる事も出来ず、そればかりか、気付くとその場に縫い留められたかのように足が動かない。

“神の姫?”

蚊帳の外に押し出された形のダイは、初めて聞く単語に眉を寄せた。名前の感じからすると、自分(竜の騎士)と同じく神の手によって生み出された存在なのか。

「ポップ君…」

そこへレオナの微かな呟きが聞こえてきた。
振り返ると、蒼白な顔でポップを凝視しているレオナがいた。そこから解るのは、レオナが「神の姫」について、何かを知っているという事。

「レオナ!ポップは」

ダイの問いかけに、レオナは小さく首を振った。

「もう…どうにもならない…」

「どういう事だよ」

「あれは、最後の手段なの」

何時、「許可」が下りたのかは解らない。確かにヴェルザーの幻影は現れたが、少なくともそれと解るようなやり取りはなかった。いや、メルルと精神が繋がったように、ヴェルザーとの間でも同じ事が起きていてもおかしくはない。

「…あ」

微かな、けれど確かな驚愕を含んだ声が、レオナから零れた。

「え?」

再びポップを見たダイは、目を疑った。
いわゆるカラスの濡れ羽色と言った、あの漆黒の髪が有り得ない色に変化していた。白に近い金色。

「ポ…プ…?」

しかもその髪は風もないのに、不規則にフワフワと揺れている。
その変容に驚いているのは、当然ダイ達だけではない。

「き、きさま…っ一体…」

「言ったろ?神の秘女―――もう一つの名を四界の楔」

「楔だと!?」

「ああ。あんたは話半分に聞き流していたらしいがな」

これにレオナはハッとした。ポップ達、楔の庇護者として堕天したというヴェルザー。彼は彼で、動いていたのだ。もしバーンがその言葉を聞き入れていれば、今回の戦い自体なかった。そうでなくとも、ヴェルザーが自由の身であったなら。
ポップの「人としての時間」は、もう少し長かった筈。
そんな中、ポップの変容は更に続いていた。

“あれは…”

僅かに見える、背中と二の腕の素肌に文様が浮かんできている。光球と同じ色のあれが、恐らくメルルが見たというものなのだろう。ダイやバーンにも見えているようだ。あれが普通に見える事、それもまた「最後」を表していると言える。

「…展開」

ほぼ無音となったその場に、ポップの声が響いた。
瞬間、光球の輝きが増した。
それとほぼ同時に、何かが砕け散るような甲高い音が幾つも鳴った。「瞳」が解除されたのだ。

「おいおい。何者だよ、あいつ」

重い空気をぶち壊す勢いで、早々に言葉を発したのはヒムだ。
全てをを知るマァムは、レオナと同じように顔を蒼褪めさせて、きつく唇を噛んでいる。

一部だけとはいえ、直接話を聞いていたクロコダインは、太い腕がもう一回り太くなる位に拳を握り締めた。
ポップに対して、ほぼ思い入れのないラーハルトも、有り得ない筈の光景に瞠目している。

「アバン君…」

ブロキーナが静かにアバンに水を向ける。だがアバンは無言で、「失われる存在」である弟子の後姿を見詰めている。ただ、同じように黙って自分に視線を向けているヒュンケルに気付くと、絞り出すように言葉を綴った。

「こうなってしまったら、私達に出来る事は…ありません」

先刻のレオナと同様の言葉に、ダイも反応する。

「先生?」

「あの子は、そういう運命を背負って生まれたんです」

「運命、て…」

アバンの次の言葉を待つダイ達だったが、それより先にバーンの声が響いた。
「楔だから何だと言うのだ!そんなもの」
「解ってないな。世界が四つなら、その狭間、境界は三つ。俺はただの中継点さ」
「な・・・に…」

「あんたの目的が地上の支配なら、ダイ…竜の騎士の管轄だった。けど、破壊なら俺の方だ。俺は楔。世界の安定を繋ぐ者」

最後の言葉に、バーンの脳にかつてヴェルザーから説明された四界の理が浮かんだ。一つの世界が失われれば、いずれ他の世界も失われる。そんな事がある筈がないと鼻で笑っていた事が真実で、だから今、楔だというこの少女が自分を封じようとしているのか。

「世界全てを滅ぼす者として、あんたは世界に拒絶された」

「余が世界の邪魔者だというのか」

「あんたのやろうとしている事が、な」

そして一度発動した封滅印は、中断される事はない。光球は輝きを保ったまま、バーンを囲み回り続けている。
その力の巡りが安定した事を感じ取ったポップは、安堵の息を吐いて、緩く後ろを振り返った。
そこにいるのは、大切な人達。
本当は、ずっと共に在りたかった、人達。
                        (続)












3に続く
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