『四界の楔 ー杜門編 3ー』 彼方様作


アバンやレオナ、マァム、そして一部とはいえ自分のことを知っているクロコダインは愕然とした表情。
それ以外の、何も知らない者達は怪訝な表情。
ポップは僅かに左足を動かし、半身だけ後ろを向いた。

「姫さん、これからの方が大変だぜ。頑張れよ」

「…ええ―――任せて」

何百年後になるかは解らないが、ポップが目覚めた時に少しでも笑って生きて行ける世界を作っていきたい。
彼女の漆黒から翠緑へ変化している瞳を見ながら、強く誓う。

「マァム。俺が言うのもなんだけど、もう少しお淑やかになれよ」

「そうね。幸せになるわ。貴女の言う通り」

―――女の幸せは、好きな人とと添い遂げる事。あの時のレオナの言葉。今はまだよく解らない感情だが、それは否定しない。
―――全ての命は幸せになる為に生まれてくる。同じ時のポップの言葉を実践する為に。

「おっさん。正念場が来るぜ。本領発揮してくれよ」

「お前の期待を裏切る訳にはいかんな。任せておけ」

人と魔族・怪物の溝は深い。この中にいると感じないが、一般的にはそうなのだ。ポップが言っている事は恐らくそういう事だ。
そして気付く。
ポップから再び魔の気配が発されている事に。
それも以前のようなボンヤリとしたものではなく、ハッキリと。

「ヒム、ラーハルト。戦いだけが人生じゃないからな」

正にその為に生み出され、ほぼ生まれたばかりでそれ以外を知らないヒムは、ただ首を捻った。
バーンが倒れれば、今までのような戦いは激減するだろうと予測がつくが、これまで自分の価値をそこにのみ求めていたラーハルトは、そっぽを向いた。

「老師。来てくれて助かりました。長生きして下さいね」

「…もう少し、君と話してみたかったね」

詳しい事は何一つ解らない。けれどアバンやマァム、レオナの様子から、彼女が失われようとしている…少なくとも自分達と会う事が出来なくなる状態に追い込まれているのは解る。
ここでポップは、一度視線を落とした。

「…ヒュンケル」

「ポップ」

「ごめん、別の幸せを探してくれ」

「ポップ…!」

諦めろ。それ以外の道はないのだと言うポップに、ヒュンケルは拳を震わせた。そして事情を知っていそうなメンバーがいる事にも、憤りを覚える。
自分は、何も知らされていなかった。

「ダイ。…ごめんな」

こうして話していても、「封滅印」とやらの制御は続けているのだろう。ポップの髪は揺れたまま…いや、寧ろ少しずつ不規則さを増しながら、大きくなっているようだ。

「俺がもっと早く決断していれば、ゴメは失われずに済んだかもしれない」

「え?」

どの道いなくなる自分とは違い、生き残れるのにその可能性から潰してしまった。けれどその一方で、たとえ一時的にでも世界中の人の心が繋がった事は、戦後の世界の糧になるとも思える。

「何だよ、許可って…」

「この力を使う許可。まぁ、正確に言えば俺はその力を糾合して、制御する中継点。世界の存続を脅かす存在を封じる為に」

ポップの表情も口調も、普段と変わらない。
そんなとてつもない力を行使しているようには、とても見えない。

「誰に許可を得たというのだ!」

ここでバーンが割り込んできた。
現在、身動き出来ない状態にされている事もさる事ながら、存在そのものを無視されているのは更に耐え難い。
ポップは胡乱な視線をバーンに向けた。

「何で解んないんだよ。あんたに四界の理を解いた奴がいたじゃないか」

「ヴェルザーだと!?何故あいつが」

「…知らないのか?それとも、そこも聞き流して覚えてないのか?ま、俺の知った事じゃないが」

そもそも懇切丁寧に教えてやる必要などない。
それにヴェルザーが本来「何」であるかなど、ダイや、ついでにラーハルトの前で口にする気はない。
ポップは肩を竦めると、ダイへ視線を戻した。

「悪かった、黙ってて。けど…お前が俺に傾倒する程、言えなかった」

「ポップ…」

確かに、ポップに相当依存していた自覚はある。ポップがこんなに特殊な存在で、これ程すぐにいなくなるのが解っていたら、どんな行動に出ていたか自分でも予測出来ない。

“でも、何処かで感じてた”

ポップが手の届かない場所へ行ってしまうんじゃないかという、漠然とした不安。どうして自分は、それを放っといたのだろう。
あんなに何度も感じていたのに。
そして、あの深淵の闇を映したような瞳も。

“ああ、あれもそうだったんだ”

―――俺なんか好きになったって、幸せにはなれない

あの時、彼女はどんな気持ちだったのだろう。
ポップの秘密は、そこ、ここで零れていたのに。
それなのに自分はその全部を不安に思うだけで、追及しようとはしなかった。
バーンを倒してからだと決めて、それだけに拘って、自分の気持ちを押し付けるばかりで、ポップの心を推し量る事などしなかった。

“対等に扱われなくて、当然じゃないか”

彼女は、自分達とは全く別の場所にいたのだ。

「これが、俺の最大の我儘」

ポップの言葉に、ハッとする。
他のメンバーも、虚を衝かれた表情になった。

「親しくなればなる程、いなくなる時にその相手が傷付くって解ってて…それでも、俺は、それが嬉しくもあった」

そこまで自分を必要としてくれた事が。
好きになってくれた事が。

「―――大丈夫よ」

「姫さん?」

「人生、人との出会いと別れなんて、幾らでもあるわ。ポップ君は、それが少し特殊だっただけ。だから、大丈夫」

悪いなんて思わないでいい。
自分達だって、ポップから色んなものを貰ってきた。

「そうよ、ポップ。あったかい気持ちだけ持って行って」

「マァム…」

避けられないものなら、後悔や痛みなどではなく優しい思い出だけを持っていて欲しい。きっと、共に旅をしていた時のアバンも、そんな気持ちで接していた筈。
ポップは一度目を閉じて、アバンを見た。

「貴方に会えて、俺の人生は開けました」

「決断し、行動したのは貴女ですよ」

「でも、それが最初でした。貴方に出会えなければ、俺はランカークスから出る事もなく、ダイや皆に会う事もなかった」

俺の幸せの第一歩は、間違いなく貴方でした。

「私は、少しは貴女を支えられていましたか?」

「はい。これ以上はない程に」

言葉と共に、ポップは鮮やかに微笑った。それだけで「女としての」ポップの想いが誰に向かっているのか、一目瞭然と言う程に綺麗な微笑みだった。
そのやり取りを見て、こんな状況なのに…いや、こんな状況だから余計になのか…ダイとヒュンケルは唇を噛んだ。結局、最後までポップにとっての一番の存在はアバンだったのだと、思い知らされたようなものだ。

ポップは軽く深呼吸すると、全体を見渡した。
変わった態度を取るな。何時もと同じでいろ。

―――泣くな
―――笑え!

幸せだった。
それが気遣いや、誤魔化しだと思われない為に。
何よりも、一番いい顔を覚えていて貰いたい。

“メルル。あんたにも”

多分、今もずっと自分の感情を彼女は受け取っている筈だから。

“幸せだったんだ、本当に。ただ、それが終わる事が哀しい”

「ポップ!」

ダイの悲痛な叫びに、ポップはダイを見た。

「…ダイ。俺はお前を幸せにしてやれないけど、俺はお前に会えて幸せだったよ」

「ポップ」

「願わくば、これからのお前の人生に幸せが多くあれと思ってる」

「ポップ…」

「ごめんな、こんな奴で」

「ポップ」

つい先刻、アバンに見せたのとは全く違う、ひどく儚い、何処か哀し気な微笑みに、泣きたくなる。自分だって、ポップと会えて幸せだった。そう言いたいのに、バカみたいに彼女の名前を繰り返す事しかできない。

「勿論、皆も」

ヒュンケルの刺すような視線に、ポップは一瞬だけ気まずそうな表情になった。
それでも、もう、どうしようもない。

らしくなく視線を逸らしたポップを見て、けれどヒュンケルは真っ直ぐな視線を向け続けた。今、自分に出来る事はそれしかなく、少しでも強く彼女の姿を焼き付けておく為に。

“お前が恐れていたのは、これだったのか”

ポップの本音が垣間見えたあの夜。
どうして自分は追いかけなかったのだろう。いや、あの時それを問い詰めていたら、おそらく自分は「仲間」という認識は同じでも、ポップの内側から弾き出されていた。

“世界の安定を繋ぐ者…楔…神の姫…”

なんてものを背負って生きてきたのか。
それでありながら、ずっと自分達を支え続け、フォローしてきたのか。

“敵わない筈だ”

あの笑顔は、自分の運命を飲み込んだ上でのものだったのだから。
そんな全員の視線を受けて、ポップは顔を上げるとグルリと彼・彼女達を見渡した。
封滅印の力が満ちる。
これで、本当に最後。

「――――ありがとう」

聖魔の気配を纏い、舞い続ける白金の髪が、ポップを「人間」というカテゴリーから切り離していく。

「楽しかった。嬉しかった。幸せだった」

噛み締めるように、一言一言を呟く。
どうか。
どうか、皆もそうであってほしい。
そして、これから先もそうであるように。

「皆のおかげで、本当に幸せだった」

何度も「幸せ」だと繰り返す。まるで刷り込みでもするかのように。
ポップが、スッと左足の位置を戻した。

「ポップ!!」

それに気付いたダイが、少しでも長く引き留めようと大声で叫んだ。もう、無駄な足掻きなのだと、解っていても。
すると、体勢はバーンへ向き直ったポップが、首だけ振り返った。
けれど、放たれた言葉はとても残酷だった。

「…さよなら」

一生、忘れられない微笑みと共に。
                       (続)












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